Zガンダム〜恋人たち〜



おすすめ度 : ★★★★★ BY/ZERO


- A -

Zガンダム「恋人たち」を観て来ました!!

TV版の原画と今回オリジナルに作られた原画を使うといった方法は前作「星を継ぐ者」と同様で

確かに違和感は感じましたが、ストーリーはさすがといったところ。

ガンダムの歴史を作った富野作品ここにありということをまざまざと見せ付けられた作品であります。


後、何人かのキャラクターの声の出演が変わっており、それについても「ん?」という感じでしたが

初めて見る方やあんまりそういうのにこだわらない人には気にならない程度のものです。


ただ、カット場面が多いので、劇場版を見た後、TV版で見ることをおすすめします。


- B -

女達が戦場にでる、今回のテーマはまさにこれに尽きると思う。

それを一番表現しており、ZEROが今回一番カッコイイと思った場面は、マウアー・ファラオは愛するジェリドを守るために

カミーユの放つZガンダムのビームがジェリドに直撃するのを自分が盾となって防いだというシーンである。


「守るって言ったろ・・・」


男が女を守る。いつからそんな世の中が定着してしまったのだろうか?

女が男を守る場合もあるんじゃないのか?

それがこの場面に集約されているように思う。



『愛する』という定義はいったいどのようなものだろうか?

人によってそれは違ってくる。本当にこの人ならば信じられるという人に出会うには、自ら動いてみるしかない。

そうやって翻弄されていく、男と女。

裏切られた後に起こる憎しみや、本当の自分を見せてくれない人。

裏のある男はカッコイイという人もいるが、やはり、全部をさらけだしてもらわなければ、その人を容易に信じることは出来ない。

そしてその裏のある男こそ、かつてシャア・アズナブルと呼ばれていた男、クワトロ・バジーナである。

サングラスを外した瞳には何が映っているのか?

レコア・ロンドがクワトロにキスを迫ったとき、クワトロはサングラスを外すことなくそれに応じてしまう。


それが彼の「心の狭さ」だったのである。


そしてそんな彼に失望した彼女はシロッコのもとへ向かうことになる。



信じられるものがひとつあるとすれば・・・。

だから彼女はカミーユを宇宙へと飛ばす為、自らを犠牲にしてブースターを発射させるのである。


ファウ・ムラサメ

強化人間を作る施設でNO、4という番号からこの名前が来ている。

過去の記憶が全部消され、自分の記憶を取り戻したいがため、サイコガンダムに乗り込んだ彼女。

カミーユとの出会いで、少しは安らぐファウ。

カミーユもまた、そんな彼女に「愛」を感じてしまう。

しかし・・・

フォウはそんな記憶なんかよりも、過去の記憶の方が欲しかったのである。

信じられるものなんて何も無い。

そんなフォウを見てカミーユはとんでもない行動に出るのである。


マークUのハッチを開けて、サイコガンダムに乗るフォウに呼びかけ、それに応じるフォウ。

そして、カミーユはフォウに自分の全てを打ち明ける。

死んだ両親のことや、両親は自分のことなんて全く気にもとめなかったこと・・・

なんでこんなことを話しているのかさえもわからないくらい自分をさらけだした。

心の傷を負ったもの同士、少しの時間だけでも分かり合えたひとときだった・・・。

そしてフォウはカミーユを宇宙へ飛ばすのだった。


信じたものがひとつあるとすれば、それはカミーユの真心であろう。

偽りの無い言葉は、今まで大人の世界で生きてきたフォウにとって、優しく包んでくれる感触であった事だろう。

ある意味「子供」と言えるかもしれないが、それが彼女の心を動かしたのである。

「カミーユはここで死んではいけない・・・」と。



一人一人の心情を的確に捉え、またモビルスーツ戦にいたっては、どこに無駄も無く、アニメとは思えないほどのリアリティズムを感じる。

その点において、批判はしたくはないのだが、SEEDとの大きな違いだと思う。

SEEDと言う作品も現代における風刺として素晴らしい表現力を持っているということにZEROは賞賛を置いている。

しかし、どうしても「Z」という作品を見てしまうとそれが色薄れてしまって仕方がない。

「子供は親に勝てない」

そんな定義を信じたくも無いが、信じざるを得ないと言う結果もまた皮肉と言えよう。

そしてそんな富野監督自身も自分の作品をけなしながらここまで来ている。

実は富野氏は自分の作品に「好き」というものはない。

全部「嫌い」なのである。

積み重ねてはつぶし、積み重ねてはつぶし・・・

そうやって富野氏の今がある。


今頃、こうやってZの批評を書いているZEROを笑っているかもしれませんね。

「こんな作品で満足しているようではまだまだだ・・・」と。