第1章「ガンダムの鼓動」



始めに言っておくが、富野氏はガンダムが大嫌いである。

なぜなら『ガンダムの富野』といわれることに嫌悪感を覚えているからである。

全ての映画ではなく、『ガンダム』という言葉でしか自分を見てくれない、そんな自分にしかなれていない自分が情けなくて仕方がないからである。


終始言い続けたことは「ガンダムを作る為に俺はここまで来たわけじゃない!」ということ。

映画監督としていかに大成するか、スピルバーグのような大監督を越える為にはどうすればよいか・・・

それが今、富野氏を動かしている原動力ともいえよう。


大人になれば分かると思うが、ビジネスというのは自分ひとりでできるというものではない。

富野氏もその影響を受けた一人である。

グッズ販売会社などからの要求という制約を受けながら、作品を作っているのである。

さらに、アニメを作ってもギャラは少ない。カスカスなギャラだからこそ必死こいて作らないと生きてはいけなかったのだ。


当時富野氏はこう思っていた。

『ガキ向けの作品ばかり作ってられるか!!』

しかし、公共放送で配信されるのだから、20分間のドラマの中に何を伝えるかという責任がある。

大人として、どういう姿勢で向き合うか・・・。


そうやって生まれたのが、名作『海のトリトン』である。

子供の頃わからない、でもきっと大事なことを言っているんだ。

この話はうそじゃないぞ!

児童文学をモチーフにしながら、大人の考え方をリアルにだした作品ともいえよう。


作品が爆発的なヒットをして富野氏は気がついたことがある。

「たくさんのファンがいる」ことに。

テレビ・マンガといえど本物の観客がいる。我として恥ずかしくない話を作るしかない!


『ガンダム』に手をつけ始めたのが、ちょうどこの頃の話である。

ロボやメカは嫌いな富野氏だったが、だからといって作品を崩していい訳ではない。

商業ベースでやりつつ『子供に向けて大人が何を伝えるか』を考えた後、生まれたてのガンダムが登場したのである。


旧ロボ作品とガンダムの対比

□ 一人の科学者がロボを作る

→現実に一人で作れるわけがない。

□ アスファルトで歩かれたら道路が壊される

→重力下で動きにくい→宇宙を舞台にした

□ 敵が全部宇宙人
→10年経つとイヤになる。敵も味方も「ヒト」にすることによってリアル感を生じさせる。


富野氏は人型の兵器を使ってでも映画を作りたかった、みんなが見てくれるモノを作りたかった、そしてガンダムが生まれたのである。